2022/08/04 16:43

カルチャーとは何だろうか?


数年前からこの疑問が自分の中で駆け巡っています。

若い子には頭が痛い問題として、

知らないバンドのTシャツを着る問題がありますよね。

でもそれってもう、議題に上がらないほど、今の時代は飽和状態なのかなと思っています。

つまりバンドをバンドとすら認識してないような輩が平気で現れる時代なのだと。

で、もうその辺に突っ込むのは疲れたので、

今回はまた違った話です。

一番最初に言ったとおり、

数年前からどこか違和感を感じることが多くなって、

なんかモヤモヤすることが増えました。

というのも、カルチャーに詳しいとされる人と

話をする機会が度々あるんだけど、

その中に、僕の中でなんか怪しい人がいる。

ざっくり言うと、受け売りの情報だけで作られた人がいるんです。

簡単な例をあげましょう。

例えばマイケル・ジョーダンが10試合連続で40点獲ったとしましょう。

10試合目の40点が超えた時点で、恐らく解説がその偉業を知らせてくれるはず。

数分後にはメディアに情報が流れ、時が経てば雑誌にも特集されるかもしれない。

極端な話、試合を観ていない人にも、この情報は共有されるんです。

しかし、僕が言いたいカルチャーというのは、

試合を観ながら、何試合目かで「あれ?これどこまで続くの?」とか、

「次も40点獲ったら10試合連続じゃない?」とかを体験することなんじゃないでしょうか。

試合も観もせず、記録や結果だけを追いかけたり、それだけをウンチクとして取り込む。

それはカルチャーでは決して無いと思う。

文献や本人のインタビューを見ればその時の真意も得られるでしょう。

でも大切なことは、ジョーダンが40点を獲るまでに、

どんなドラマを演じたかを肌で感じることです。

そこにはメディアでは映さない仲間の犠牲もあるでしょう。

40点獲ったけど、ちょっとシュート打ち過ぎじゃない?と感じるかもしれない。

解釈が間違っていても体感することが、その人のカルチャーになるんです。

とはいえ大人にもなると、中々そればかりに時間もかけられません。

丸々リアルタイムでスポーツ観戦なんかも難しくなる。

僕だって全てを追いかけられる訳じゃない。

だけど最終的に言いたいのは、簡単に知識だけ得たって何の実にもならないということ。

世の中には話し方が上手な人もいます。

1しかない知識を10の熱量で話せる人も沢山いる。

人から聞いた話を自分で咀嚼したように話す人もいる。

そこの見極めは非常に難しいけれど、

自分が何か体験すれば、体験してない人の作り話には気付くよきっと。

以上老害からでした。